おはようございます
武ノ風 山下です
台風が接近中ということで
空は曇天です
なに書こうかなーって
思ってたら
なんかフッとじいちゃん(祖父)のこと思いだしたので
綴ってみます
僕のじいちゃんは
元々役人していて、
そこから猛勉強をして
ドンドン昇進していき
建設省?かなんかの大臣秘書にまでなり
天皇陛下からの書状なんかもらってました
なんかスゲーじいちゃんなんですが
僕が小学校卒業するまで
一緒に暮らしていました
その時の印象は
「無口で、家では一人丹前を羽織りバーボンを飲んでる、怒ると怖い昔の亭主関白じいちゃん」
でした
僕が幼い頃は
可愛がってもらったのも
褒めてもらったことも
ほとんどなく
なにか言うとしても
「お前みたいなもんが」的な
言葉しか言われたことがありませんでした
恐らく、じいちゃん
不器用で子供に対して子供扱いすることが好きではなかったのやと思います
そこら辺、遺伝なのか
僕も子供に対して子供扱いするのは嫌いで
子供も一人の人間として接します
そんなじいちゃんなもんで
親戚の集まりなんかあると
他のおじちゃんたちの様に子供に小遣いあげたり遊んであげたりは一切なく
大人だけの輪に子供が首突っ込もうもんなら
「あっちいけ!!」と
邪険にする始末
だもんで
うちのじいちゃんに対して子供たちは
「触らぬ神に祟りなし」な感じでした
ですがあるとき
親戚の集まりで子供たちが沢山いるなか
「アキヒロちょっと来い!」とじいちゃんに言われ
「うわぁー!なんかまた怒られるとかいなー?」
と僕はちょっとビビってました
そして
じいちゃんと僕、二人きりで
ずっと知らない田舎道を歩いていると
神社で縁日がやっており
屋台がたくさん並んでいました
するとじいちゃんは
「なんか好きなもん買ってやる!
他の子供たちには言うなよ!」
と言われ
かき氷を買ってもらったのが
後にも先にも
直接、じいちゃんに良くしてもらった
無茶苦茶嬉しかった
唯一の記憶でした
そこから時が経ち
僕は19歳の頃
「世界最強の男になるんや!!」と
k-1選手になるため
大阪に行くことにしました
福岡を発つ前にじいちゃんに
大阪に行くことの報告に行った際
「お前みたいな、どう仕様もないやつが
なにしたってしょうがないわ(笑)」
と蔑むように言い放たれ
「クソォー!見とけよ!絶対最強になってやる!!」
と反骨精神に火を付けられ
福岡を発ちました
その数年後じいちゃんは心筋梗塞で亡くなりました
葬式も終わった後
ばあちゃんからなにかアルバムを渡されました
そのアルバムには自分が大阪に行ってからの
k-1に関する記事の切り抜きなどが
ビッシリとじてあり
オカンが教えてくれたのですが
「アキヒロが大阪行ってから、仕送りをたまにカップラーメン送ってたやろ?
お金送るとアンタいらんことするかもと思って
お金は一切送らんかったけど
じいちゃんはお金おくったげれ!って
ずっと心配しとったよ」
聞かされ
じいちゃんの想いを
亡くなってから知り
崩れました
ホント今思うと
僕の天の邪鬼な性格を知って
甘い言葉をかけなかったのか
大阪で死に物狂いで頑張れたのも
「じいちゃんをいつかビックリさせてやらぁ!」
となるように発破をかけたのかもしれないです
今では
「渋くてカッコいいじいちゃんやわ」
と心から尊敬します
余談ですが
もう自分もいいオッサンのせいか
久しぶりじいちゃん思い出したら
涙腺がゆるんでしゃーないです
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