おはようございます
武ノ風 山下です
段々、空気が秋の雰囲気っぽくなってきて
ちょこっと気分がノってます
今日もなんとなく「言葉」について綴ってみようかと思います
この「言葉」をテーマにした時
様々な角度が有りすぎて
本当に難しいテーマですが
フラフラ迷いながら書いてみようと思います
自分を振り返ると
幼少の頃はなにも考えずに「言葉」をただ発していました
そこから少年、青年となっていくうちに
他人の「言葉」に違和感を感じることが増えていきました
そして
同じような内容を話していても
人によっては
「ぜんぜん耳に入ってこんわー」なときと
「この人の話し、吸い込まれるわー」な
場合があります
人類史を考えても
「言葉」って、とても便利な能力
便利がゆえに
善用も悪用もできるし
使い方自体も「何かを伝える」「人の心を動かす」「考えを整理する」など
様々な使い方があります
僕が「言葉」で一番大事に思うのは
「言葉を使っている人が、その人の生き方とその言葉が本当に関係しているのか?」
ここの感覚で
人の言葉も自分の言葉も分けて考えています
例えば
うちで稽古している二十歳の青年がいるのですが
彼がまぁよく喋るのですが
発する言葉はほとんどが
「妄想」「余計な疑問」「自己顕示」が強いがため
聞いているこちらとしては
「鳥肌が立つほど気持ちが悪い」
という状態になります
本人は悪気はないのは分かるのですが
「自分に関係の無い言葉を
相手に伝えようという意識が無い状態で
言葉ではなく、ただの音を発している」
のが、僕の肌というか感覚が
「気持ち悪い」という違和感で教えてくれます
そんな彼がじゃあどうすればいいのか?
ただの馬鹿話しの時は構わないのですが
彼に相手が何かを聞いてきた時は
「自分に話している相手の表情、雰囲気、言葉に全神経を向けてるか?」
自分が相手に話す時は
「自分の込み上げてきた感情に沿った言葉を選んでいるのか?」
「自分の体験に沿って言葉にしているの?」
「本気で相手に向けて言葉を発しているのか?」
ここを本気で意識して気を付けるしかないと思います
「そこまで人の話しちゃんと聞かないとダメなの?」
と思われるかもしれませんが
他人に避けられたい方は好きにすれば良いと思います
ですが
「人とちゃんと繋がって生きていきたい!!」
と思う方は本気で取り組んだほうがお得やと思います
僕が10年前まで
自分で居酒屋を経営していたのですが
その頃、お客さんによく言われてのが
「人垂らし!!」とよく言われ
嬉しかったのを覚えています
深夜遅くまでやっていた居酒屋だったので
良いお客さんもいれば
たちの悪い酔っぱらいや冷やかしまで
様々なお客さんがいました
まぁ、自慢なんですが
他所のお店じゃ出入り禁止になるような酔っぱらいでも
僕は手懐けて、ファンにしてました(笑)
ややこしい客ほど
ファンになると常連にはなってくれるし
他にややこしい酔っぱらいがきたら
ややこしいもん同士上手いこと話しの輪を作ってあげれば、無難に楽しくやってくれて
有り難かったです
じゃあどうしてそうなるのか?
そういうややこしい客に対して
他所の店はビビって引いて接します
それと代わって
僕の場合
酔っぱらいが絡もうが高圧的に来ようが
他のお客さんに絡みさえしなければ
真剣に酔っぱらいの目をみて
「昔からの親友がわざわざお店に来てくれた!」
という風に自分を騙し
本当にその気になってテンション上げて
本気で接していると
そういう酔っぱらいはポロポロ本心を喋り出し
中には涙をポロポロ流し出すのもいました(笑)
そうなればこっちのものでした
という具合に
善意であろうと悪意であろうと
こっちが本気で向かい合って「言葉」をかければ
相手もちゃんと接してくれるか
勝手に消えていくか
のどちらかで
無駄な衝突はなくなるなと実感しました
と話しは脱線しましたが
「言葉」って人と人が繋がる為の大事なツールであり
「言葉」をちゃんと使うかで出逢いも人生も全く違うものになっていくのだと
心から思います
という自分も
師からよく「言葉」について叱られてました
なにかの話しの流れで
深く考えずに
「それは、思いやりってことですか?」と
僕が言葉を師に発したところ
「おまえな?
思いやりってなんやねん?
その思いやりっての見せてみぃや?」
と叱咤され
「あっ!?
よく考えたら思いやりってなにぃ!?」
と僕はなり
「思いやりって、よく考えたら分かりません!」
と僕はなり
師は
分かればいいんやという態度を示してくれました
「思いやり」に対しての叱咤ではなく
「無責任な言葉」
を使った事に対して叱咤してもらったことを
感謝しています
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