おはようございます
武ノ風 山下です
ホント朝から気持ちいい空です
なんか今日はユルい気分なんで
ユルくいきたいです(´д`)
今ふと頭によぎったのが
「臨機応変」
という言葉だったので
これを広げてみます
武神館 初見宗家がよく使われている言葉なんですが
ホントこれ生きていく上で必要な発想というか
この言葉自体が「武」やと思います
別の言い方にすると
「居着くは死、居着かざるは生」
とも同意だと思います
「臨機応変」とは何か?というと
「その場その場で対応を変える」というくらいに
皆さんは考えてると思います
それはその通りなんですが
僕が思う「臨機応変」とは
「その場の対応を変える」程度の低いレベルのものではなく
自分自身の発想、行動、固定観念、倫理観などを含め
その場や対峙する相手に合わせて
「自分自身を変化させる」
ことだと学んでいます
もっと言えば
「自分自身を変化させる」より
「自分自身をどれだけぶち壊せるか?」
が正直シックリくる所です
なんですが
まず、大前提として
その場、その相手に合わせて応じると言っても
その場、その相手をちゃんと把握してなければ
対応もクソもありません
そのために
「感情」や「思い込み」に惑わされず
「現実を頭で考えず
自分も相手もその状況も
ありのままを
ありのまま観る」
「臨機応変」の第一歩やと思います
っていうのができて
さぁ、どう対応するか?ってことなんですけど
「相手の行動や意志に反応して変化する」
なんですが
これを体現する上で
一番、邪魔するのが
自分の頭の「固定観念」
コイツがホント、ウンザリするほど妨害します(笑)
道場で
「相手と一緒に動く」という稽古をするのですが
皆さん頭では分かっていても
「相手から逃げる」だったり
「相手に反発する」をしてしまいます
と言う僕も
武道をちゃんと始めて
三年間くらいは、極真空手時代のクセが壊せず
いくら頭で分かっていても
相手を力ずくで何とかしようとする
自分の頭の悪さに
もがき苦しみました
という自分との戦いを乗り越え
「自分の思考は一旦置いといて
まずは相手もその状況も
心静かにただ観る」
状態にして
「あとは自分の直感や感覚に身を委ね、自然に起こった反応に身を委ねる」
にしていきます
人間関係のトラブルなども
「感情」や「思い込み」に囚われて
勝手に誤解して
お互い噛み合わなくなっているパターンがよく見かけます
よく相手を観て
よく相手を感じ取った上で
相手を気持ちよく泳がす感覚で接していく中で
自分が変化していけば
大概、いい感じのとこ着地します
特に周りを観ていて
よく思う思うのが
「私はこういう人間なんだ!!
だからそんな自分を変えれない!!」と
自分のことを決め付けている方
よく見かけますが
「本当にそうなん?」と疑ってしまいます
そのせいで
自分で自分の首を絞めています
「1つの考えに居着いた結果が死」という意味で
「居着くは死、居着かざるは生」の1つやと思います
武道の「立つ」もその1つなんですが
格闘技やスポーツなんかは
よく「しっかり地面に踏ん張って立つ!」
と言ってます
実はそれ「固定観念」ゆえの間違いで
踏ん張るとバランス取れないし
力も出ません
武道の「立つ」はザックリ言うと
「足の裏が不安定な状態」で「立つ」です
すると
「臨機応変」に動けるし
カラダから力が出るようになります
「地面に対して不安定でいる」という
「自分がその場に居着かない」の分かりやすい例やと思います
この「臨機応変」という言葉
本当に色んな意味で深い言葉です
初見宗家の本で面白い逸話があったのですが
ある時
初見宗家とお弟子さんで
どっちが便をして早く出てこれるか勝負しよう
となりました
ヨーイドンで宗家とお弟子さんがトイレに入ると
あっという間に宗家は用を足して
トイレから出てきたそうです
お弟子さんはあまりの速さに驚き
「どうしてそんなに速いんですか?」
と尋ねたところ
宗家いわく
「紙でケツを拭かずに出てきたんだ
これぞ『紙一重の決着』てな」
と笑っていたそうです(笑)
ふざけた話しのようですが
この「トイレでお尻を拭く」という「固定観念」に囚われず
勝負に徹するという表現は
分かりやすい教えだと
僕は感動しました
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