おはようございます
武ノ風 山下です
秋も終わりそうな雰囲気で
寒空になってきました
先日の月曜日
スケジュール的にはお休みだったんですが
自主稽古をしようと思ったのと
たまたま生徒の方がいらしたので
三人で稽古する事になりました
その生徒の方が「感じる」に興味を持っていてので
まずは自分の身体を感じるという事で
「身体の連動」の稽古からスタートしたした
膝に乗せた体重を腰、腹部、胸、肩甲骨、肩、肘、指先に繋げていく稽古なんですが
2人共そこそこできていたので
しかもその日の稽古は
個人的な稽古のつもりだったので
「普段しない様な深い稽古、ちょっとどこまでいけるかやってみるか!」と思い
「自分の身体を感じる連動」から
「自分の身体から相手の身体まで繋げる連動」を
やってみました
やはり2人とも「わけわからん??」になっていたのですが
色々、工夫していくうちに
なんとなくできるようになりました
そこで僕も自分がどこまで相手を感じれるかの実験も兼ねて
「自分の身体」から「相手の身体のピンポイント」を狙って繋げるを
デモンストレーションがてら試してみました
「相手の腰」を狙い打ちでやると
見事、生徒さんの腰がくの字に曲がり
「おぉー!いけた!!」と
自分でも驚き
そこから、色々みんなで工夫していきました
そうこうしているうちに
最後に普段の稽古ではやらない
「視線だけで相手と繋げる」やってみました
さすがにこれは2人とも苦戦していたのですが
これをやったおかげで
生徒さん2人の
「意識が弱い」
「視線の集中力が散漫になる」
「相手を感じるより自分の作業に意識がいく」
などの弱点が鮮明に視えて
「やっぱ意識をコントロールするって一朝一夕じゃいかんのやなー」と
改めて僕の勉強にもなりました
ひたすら「感じる」に特化した稽古だったので
地味な稽古で「つまんないかなー?」って心配してたのですが
盛り上がって、安心しました(笑)
それと最近、生徒さんと話していて気づいたのですが
道場でよく「相手の攻撃を避けたらダメです!」
と言うのですが
「相手の攻撃をよけない」
という発想より
「相手の攻撃してくるところに居なければいい」
という発想のほうがしっくりくることが分かり
これからそう伝えようにしようと思いました
なぜこれをわざわざ書いたかというと
つくづく
「自分の当たり前は他人には当たり前ではない」
「人は人のことを理解できない」
という当たり前のことに改めて気づいたからです
僕にとっては感動ものでした
僕自身が格闘技をしていたり
人と殴り合いの喧嘩をしてきたのもあったうえ
オリンピック選手をコーチした日野先生に「身体能力の高い青年」と書いて頂いたくらい身体能力があるのもあり
「本気の感覚」や「身体操作」
が自分では当たり前にできることが
「他人はできない」ということに
「他の人はどうすればできるのか?」
という問題に
僕自身が「体験」と「感覚」で身につけて
そこには「理屈」や「言葉」がなかったので
他人に説明する時の「言葉探し」にいつも苦しんでしまいます
そこを人との会話の中で
「これが他人の捉え方なんだ!」と
発見したときは
興奮するほど嬉しくなります
例えば「本気」という言葉
この言葉って、他に例えようがなくて
そうとしか言えないって言葉なんですが
会話の中で使ったときも
自分の「本気」の言葉の感覚と
他人の「本気」の言葉の感覚は
「全然、違うんだ!」と気付き
「本人が体感するまで仕方ないな」と
ほっとくことにしてます
当たり前ですが
自分と他人ってどこまでいっても理解できるわけがなく
それが人間関係だからこそ
「相手を本当に感じる」
しか他人と関係する手立てが
本当の意味で無いのだと
改めて気づきました
今日のブログ思ったまま書いたので
分かりにくい文章でゴメンナサイ!
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