「学ぶ」ってなに??

今日も寒いすね
武ノ風 山下です

最近、なんだかんだ色んなことが重なって
ブログを書く時間がありませんでした

言い訳がましいっていうか
言い訳なんすけど(´Д`)

がんばらんないかんバイです!!

つーことで
今日は「学ぶ」について思うことなんですが

自分に無い
なにかしらの能力を獲得するため
人は「学ぶ」んだと思うのです

僕にとって「学ぶ」は
今まで「行政書士」「料理」「車イジリ」なんか
趣味の範囲では色々あるんですが

今も学び続けているもので言えば
言わずもがな
今は「武道」だけです

その「武道」を「学ぶ」ということを
「日野武道研究所」に通いだして
20数年続けているのですが

日野先生のもとに通っていたのも
2.3年だけで

鹿児島に生活を移してから
5.6年日野先生に会わない時期があり

その後、福岡に帰ってきてから
年に1.2回の日野先生のワークショップで
稽古していただくくらいになったのですが

日野先生に会えない時期

それまでに見せて頂いた技
言葉で伝えて頂いた発想

何度も何度も自分の中で反復して
その記憶の日野先生に近づくための
稽古を続けていったことが
色んな意味で自分の成長になりました

それでいいし
振り返るとその距離感が良かったと思えます

長い年月、一人の師匠のもと通い続けるのも
それはそれで良いと思うのですが

「武道」というものを学んでいく上で
ずっと思っていたのが

「道場だけで完結する武道なんか意味ないでしょ?」

という「実社会」で使えない「武道」に
意味が無いと考えています

道場で汗をかくのが気持ち良いという人は
それでもいいと思いますが

本当に自分の成長を求めて「武道」を「学ぶ」のであれば
あえて「師匠」を疑う考えも大事だと思います

「本当にこの武道なんか役に立つの?」

「この先生の言ってる事ホントかいな?」

という発想から

師匠を疑って
とりあえず師匠から教えて頂いたことを鵜呑みにして
それを実践できるか検証してみる
そして、師匠の凄さに気付かされる
この流れ、ホントに大事です

僕が昔、居酒屋を経営していたのも
「料理」「接客」「経営」というものに
どれだけ「武道」の「要素」が通用するかの実験で始めたのが本当の理由です

僕、以前に離婚経験があり
離婚裁判で弁護士もビックリの
「最高裁」まで話しがいくほど争ったのですが
その時なんかも
本当に「武道」の発想に救われました

どんな「発想」に救われたかというと

「自分から攻めず、静かに待つ」

「相手のやりたいことやらせる中で合わせて反応する」

「勝てる状況でも勝たずに中途半端なところで止める」

「臨機応変」

など
これらの「日本文化」であり「武道」の発想に
救われました

ってことで
自分の人生で色々「実験」していくことが
いちばんの稽古になりました

そこから
日野先生のもと稽古に行く際も

「その稽古でなにか成長するのではなく、宿題を見つけに行く」

ってことが「学ぶ」の本質で
日野先生と食事してた時に
この話しになり
僕が

「道場だけで成長するのは無理で、道場でもらった宿題をどれだけ私生活で使えるかが稽古やと思ってます」

と話したところ

「そんなもん当たり前のことやで!」

と同意も頂きました(笑)

あとよく日野先生が仰るのが

「人からなにか学べることなんかないで、結局自分の先生は自分以外にない!!」

とも言われ
結局人から教わることは
灯台のような、あくまでヒントでしかなく
自分で色々試して
たくさん失敗もして
悪戦苦闘していくしか「学ぶ」にならないと思います

これをやってる人なかなかいないんですけどね(笑)

武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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