「あぁ~極真空手」

寒いっすね
武ノ風  山下です

先日、僕が10代の頃通っていた
極真空手の道場が無くなっていたという話しで
色々思い出したので綴っとこうと思います

約20年前
JR香椎駅の裏の線路沿いに
極真空手道場 福岡支部がありました

僕が中学3年生の時
色々考えあって
とにかく強くなって家を出ていこうと思いました

部活で柔道やってたのですが
自分たち3年生が部活引退を機に
とりあえず
電話帳で格闘技の道場を探していると
「極真空手 福岡支部」がデカデカと掲載されていて
なんか直感で「これホンモノっぽそう」てな感じで即入門しました

線路沿いの狭い2階建ての
今思うと
味のあるボロ道場でした

当時の先生「林 栄次郎」が
極真空手福岡支部長だったんですが

そらもうイカつい先生で
この先生「故 大山倍達」の直弟子で
見た目もまんまヤ○ザ
無口でおもーい空気を纏い

なにかの雑誌でこの先生の紹介があり
福岡に極真空手道場を設立した当初
暴走族やチンピラを力ずくで入門させてた話しを見て

「この人怖ぇーけど、そうでなきゃニセモノだよね」

てな感想でした( >д<)

1階はサンドバックとバーベルがあり
2階は畳の道場で

稽古内容はだいたい
前半は2階で正拳突きやら型や組手をやり
後半は1階で1つのサンドバックを皆並んで
一人3分をひたすら全力で殴る蹴るを繰り返す
ってな稽古を週2-3でやっていました

入門したての頃は
「四股立ち」というお相撲さんの四股みたいなことをするんですが
これが太ももの負担が半端なくて
シンド過ぎて逃げそうになってました

サンドバックのトレーニングも
素手でカチカチのサンドバックを全力で殴るもんだから
当然、最初の頃は
手の拳骨の皮がベロベロめくれて
手もサンドバックも血まみれでやってました

慣れてくるとそれらのシンドイのもなくなってきたのですが

稽古に慣れて、帯の階級も上がっていくと
今まで先輩方から手加減して貰えてた組手が
段々、本気の組手になっていきました

それがもう組手いうより
狭い道場で20人ほどが同時に行うのですが
となりの組とぶつかるくらいの距離で
みんな本気で殴り合うもんだから
大乱闘みたいになってました

林先生がいる時といない時があり

林先生がいる時は
その組手が永遠に続くもんで
みんな倒れそうなのをフラフラしながら踏ん張り
道着は海に飛び込んだ?いうくらい汗でビチョビチョになりながらやってました

僕の人生で
肉体的にその頃以上にハードな時は無いほどです

その頃稽古が終わって家に帰ると真っ先に水風呂に入ってました

毎回
組手で全身真っ赤にアザだらけになってるは
脛なんかもぶつけてへこんでるわで
それを冷やして熱を取るためです

そんな道場だから
だんだん道場行くのが恐ろしくて

「今日もボロボロになるんやろなー((( ;゚Д゚)))」

「いや!行けばもっと強くやれるはず!」

の2つの言葉が
いつも道場に向かう香椎駅辺りで
僕の中の天使と悪魔がバトルしてました(笑)

2年ほど通い
僕も道場で負ける相手がいなくなった頃
ある日、新しい道場生が入門しました

自分の2つ年上で
なにか格闘技経験のある人やったのですが
稽古で組手をすることになりました

お互い蹴りが得意で
性格もバチバチ倒しにいくタイプ同士で
周りが手を止めて見入るくらい
激しい闘いになりました

結果、僕がハイキックを喰らい
人生初の失神KOしました

それが死ぬほど悔しくて
帰りの電車「香椎駅」から「宇美駅」まで
電車の座席にすわり
顔を両手で隠しながら
ずっと嗚咽混じりの号泣が止まりませんでした

「宇美駅」に着いて
他の客みんなが降りてから
最後に降りるため顔を隠してた手を降ろすと

ぼくの太ももに
誰かがポケットテイッシュを置いてくれてて
人の優しさを知りました

そんなこともあり
そこから更に強くなろうと
道場の稽古だけでなく
自主トレーニングも異様な熱気になっていきました

最近のスポーツ選手や格闘家のトレーニングを見たり聞いたりすると
「全然、俺の極真時代のほうがハードやん♥️」て
思うくらいでした

そんなこんなで
2度の大会優勝したあと

大山倍達毒殺による極真会館の分裂により
極真会館をやめk-1選手になるため
「正道会館総本部」に移りました

とザックリ10代の淡い思い出を書いてみたんですが
この頃の経験で

「辛いことには立ち向かう!!」

っていう気持ちの強さを手に入れたのだと
今では良かったなと思いました













武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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