我が師匠、日野先生と室伏広治長官の対談動画です
本物の大人同士の会話で本当に素敵でした
室伏長官が仰られていた
「感覚を身体に取り戻す」
という言葉に心底感動しました
改めて、自分が信じた師匠が本当に凄い人なんだと感服しています
自分の師匠の話しをするのはこっ恥ずかしいのと、恐れ多い気持ちとで、あまりブログでは書きたくないのですが、改めて綴ってみます
以前に書いた内容と重複すると思うので勘弁です
日野先生との出会いを振り返ると二十年程前になります
その当時、k-1選手になるため「正道会館総本部」にいました
当時の僕は体重も筋肉で105キロあり
バーベルもベンチプレス160キロ、スクワットで320キロ持ち上げ
その体格なのに軽量級並に動きも速く
有名選手に勝てるくらい実力はあったのですが、とある理由で試合に出してもらえず
「このままなんの功績もなく福岡に戻るのはかっこ悪いわ」ともがいていた時期でした
「とりあえず自分がどれくらい強いのか、色んな人と勝負してみよ」と
空手、ボクシング、テコンドー、合気道、柔道、プロレスなど色んな道場に出向かい、そこの一番強い人と勝負していました
結果、本当に強い人は誰もいませんでした
その当時、つるんでいたヤクザのツレの組織に入る話しになっていたのですが
そんな折、正道会館の仲間に「なんか、軍隊とかにも殺し合いを教えている、コンバットの先生が大阪におるらしいで」と教えてもらいました
その当時僕は
「どうせまた、言うてるだけのしょうもない先生やろ、最後にその先生シバいてヤクザなろか」
と半信半疑でヤクザの連れと2人でその先生に挑戦しに行くことにしました
大阪の中崎町という寂れた町の古いオンボロビルにその先生の道場があり
ツレと2人、オンボロビルの今にも止まりそうなオンボロエレベーターで、ガタンゴトンと道場の階にゆっくり上がっていく中、ドキドキしてました
そして、道場の階に着きドアが開くと畳の道場があり、中に入ると奥に片膝ついてタバコを吸ってる小さい先生がいました
僕ら2人はとりあえず見学に来たと言いつつ、内心「どっかのタイミングで勝負挑んでやろ」と道場の隅っこでギラギラと座って見ていると、その先生は僕らのほうに歩み寄ってきました
僕に寄ってくるなり
「俺とやりたそうやな?よっしゃやろか!」
とこちらの頭がバレていたようで、この小さい先生から勝負を誘ってくれました
僕は
「こんな小さいオッサン本気でイッテいいんやろか?まっいいか本気でイッタろ」
と内心思いつつ道場の真ん中に立つと
「俺が今からオマエに向かって行くから、好きに攻撃せぇや」
とその小さい先生は、真っ直ぐ僕に向かって静かに歩いてきました
「こんなオッサン一発で終わらしたろ」
と僕に向かって歩いてくる小さい先生に、僕は軽くコブシを握って迎撃体制に入っていると
今までの勝負では、相手の出方で直感的にどういう攻撃をするか閃いて攻撃していたのが
この小さい先生に対して
「アレ??距離が読めん!?でもどんどん近づいてくるぞ!?」
「うわっ!?いつの間にか目の前にオッサンおるやんか!?クソっこれでも食らえや!!」
と僕が攻撃しようとした瞬間、どうなったのかはよく分からないですが、僕はひっくり返ってました(笑)
そんなひっくり返ってる僕を、小さい先生はニヤニヤとしながら
「もういっちょヤルか?」
と言うので、もう一度挑戦しました
同じ様な展開で、やっぱりひっくり返され、僕の片腕は取られ、犬の散歩の様な状態で遊ばれました
といった感じに僕は打ちのめされ
これが日野先生との出会いでした
「世の中にはこんな凄い人もいるんや」
と僕は感動し、ヤクザになることもキッパリ捨て、日野先生のもとに通いだしました
そこからは
「オマエなぁ、身なりちゃんとせなアカンで」
「『もし』って言葉使ってたら、糞みたいな人間になるで」
「オマエもパソコン買って、毎日ブログ書けぇ」
「オマエのレベルが上がれば、そのレベルに合った人間と出会うねん」
など父親のいない僕に、父親が教えてくれるであろう、「人生の教訓」や「心の置き場」を教えて頂き
「父親ってこんな感じなんやろなぁ」
と感じさせても頂きました
本当にずっと思ってることなんですが
日野先生に出会わず、そのままヤクザになっていたら、自信過剰だった僕はどっかで刺されるなり撃たれるなり、今日まで生きてなかったかもしれないという思いがあり
このことは日野先生に小っ恥ずかしくて話したことはないのですが
武道の師匠でもあり、命の大恩人でもあり
心の底から尊敬もし、畏怖もする、僕が頭が上がらない方です
この話し恥ずかしいので、今後はなるべくしませんって話しでした(笑)
武ノ風 BUNOKAZE
衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。
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