「脱力と雑念の関係」
昨日の稽古で「脱力」と「雑念」って関係してるんだと、改めて考える機会を頂いた
そして、ふと「ジョルジョ.ドンのボレロ」を思い出し、久しぶりに動画を見てみた
意思を持ってるかの様にどこまでも伸びやかに動く手足
振り付けを頑張って踊ってる感じではなく、音色に釣られて動いてしまってるような肉体
変な力みも、やらしい自我も全く感じられない美しく見入ってしまう、激しく静かなステージング
生半可な稽古じゃ表現できないものだとつくづく感じます
改めてやっぱり「頭の中が静かな状態」が「脱力」を生み
「脱力」になってる時って「頭のノイズが消えてる時」なんだと
「鶏か卵か」に似た感じの様に仮説立てて考えているところです
ほんで昨日の稽古でも話したのですが
「自分がどうする?」を考えるのではなく
「相手に意識を向ける」
「相手を感じる」
「自分自身の身体も感じる」
を本当にやっていくと
頭の中が静かになっていき、その場の雰囲気が静寂に包まれていくのがわかります
その「静寂」の中で動くために様々な「身体操作」必要であるし、「身体操作」は「脱力」してないと困難です
「頭の静寂」と「脱力」
僕や昔の武道仲間は、喧嘩やサッカーのゴールキーパー、刃物を使った多人数掛けの稽古などの、本気で集中しないと怪我する環境で自然と身に付けていった能力?なんですが
これを、危険な環境を知らない方に伝えるのが非常に難しく悩ましいところです(笑)
「力みを無くす」これ当分テーマの一つになるだろうと思うところです
武ノ風 BUNOKAZE
衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。
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