「『知ってる』と『やれる』は別物」
お昼の仕事で新人さんに仕事を教えている
なにか指摘するたびに「いや、僕はこうしようと思ってました」と要らない一言を言う
こちらとしては、それら全てを見越した上で指摘している
アホ臭いので「そうですか、じゃあそれでどうぞ」と見捨てる
だからその新人さん、やはりちゃんとミスをする(笑)
この新人さん自分より年齢も上で、クセのある方やと思っていたが、仕事ができない人やとも解った
なぜ、そう思うのか?
自分の能力、実力を過信しているのが、話しをして、仕事ぶりを見ていると「自分の基準で判断している」でよく分かる
趣味や自分の会社ならそれで良いと思うが
人の会社で成果を出して、利益を出すことが目的の場であれば、成果をどう上げるかが基準であり、どれだけロスを減らすかが基準になる
当然だけど、どれだけ自分なりにやったつもりでも、会社の利益が無ければ、自分たちの給料は出てこない
至極、当たり前の話しだけど
ここが頭に無い、アホな人が結構いたりする
コンビニに買い物行っても、失礼な接客をするバイトの子がいる
訳分からなくて、テンパってる子は「ガンバレ!」と温かく見守るが
やる気の無いバイトの子には「キミ、接客そんなダルいなら辞めれば?こっちもお前に接客されにきてないから」と冷たくツッコむ
「お前のバイト代、どっから生まれてるか考えたらその態度ないやろ」と思う
なんやろ
みんな、自分の信念や生き方、アイデンティティいうものはあると思う
例の新人君もそんなに自分のやり方を尊重したいなら、自分で会社を立ち上げるなり、誰とも関わらない無人島で生きればいい
人からなにか教わる時に「僕はこう思います」と言ってしまう幼稚な自我
新人君も相手されなくなるし、教えてるほうもムダなエネルギーを使う
僕なんかはなにか教えて貰うとき、知ってることを言われても「分かりました」と1から教えてくれる丁寧さに感謝する
道場でも話すのですが
なにか教えて貰うときは、多少の知識があっても全く無知の心構えで臨まないと、自分の成長に繋がらないし
教えてくれてる人の言葉と、自分の知っている言葉が同じだとしても、言葉そのもののレベルが違うからだ
教えてもらってるときに「それこういうことでしょ!」とクイズと勘違いしてるように知ってるアピールをする人がいる
「知ってるなら、やって見せて」と振ると、ちゃんとなにもできない
「知っている」と「やれる」は全く別物で
そんな当たり前を知らない大人がいることに呆れてしまう話しでした
武ノ風 BUNOKAZE
衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。
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