「静寂」

「無」になるという言葉がある


「私~したい」という自我が無いという言葉として僕は理解している


「明鏡止水」「水月移写」という武道で必要な要素であったり、なにか命懸けの状況に置かれた時、最重要要素だと思う


そこを自分は「正面向かい合い」という稽古方法で教えて頂いた


言葉どおり、自分に対して今まさに本気で襲い掛かろうする相手に、身体も意識も正に真正面から向かい合う


ただそれだけの稽古になる


だけど、その「ただそれだけ」が本当に困難な課題になってくる


例えば、目の前に殴ってこようとする相手がいるとする

「怖いよー」

「いつ殴ってくるかな」

「殴ってきたら、どうしよ」

なんかがつい頭によぎってしまう

それは当然の発想だと思う


だけど、その発想自体が頭の雑音になり、相手の意識を、せっかく自分の感覚というか本能が察知しているのにも関わらず、自分の頭が雑音で掻き消してしまう


「でも向かい合うだけじゃなにもできないやん」

と思うかもしれない


それがそうではなく

自分の頭の雑音(ノイズ)を消し

頭の中が「シーン」て聞こえる感じになった時

相手の気配が不思議とわかってくる


例えば、殴ってくる相手が、殴ろうと身体が動く直前に、「自分に何かしようという意識」が先に向かってくる

その向かってくる意識に「反応してる自分」が違和感ないように「自分が動かされていく」になってくる


その頭の中が「シーン」とノイズが無い中で動ける身体操作が「胸骨操作」「身体の連動」「肘、膝のみの操作」だということにも気付いていく


よく「坊さんの座禅修業、あれは座して気配を静かにすればいいだけやけど、武道はその上で命のやりとりをする、無茶苦茶ハイレベルなことやってんねん」と師匠が仰られてたとおり


一生掛けて取り組むレベルの代物ゆえに一朝一夕では到底できない


だけどそこに本気で取り組んでいるうちに、相手の「人」がよく見えるようになってくる


「見抜く力」というのが知らないうちに見に付いていくおかげで

出会う人の「人間性」がすぐ視え、あとはその「人間性」に合わせていけば、衝突するもしないもこちらのコントロール下になっていくので

人間関係が楽になっていく


今どき、誰かが襲いかかってくる場面なんかそうそう無く、「武道って趣味でしょ」と思われる方がいてると思うが

それこそが現代の「武道」の活用法の一つとして、「武道」が世界で重宝されるのだと思う






武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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