「武道は哲学」

武道の稽古をしていると「そのままで」「いらんことをしない」「それだけ」とアドバイスすることが多い


僕も今まで、柔道、剣道、空手などやってきたし、他所の格闘技の道場を拝見もしたが

おおかた、「もっといけ」「やりかえせ」「負けるな」と攻撃的な激を飛ばすところが多い


それはそれでいいのだが


それらの言葉を自分の人生に落とし込んで使った時

「やりかえせ」や「負けるな」という言葉や発想は、間違った使い方すると自分が追い込まれることになる



本物の武道を知り、学び、体感していくに連れ、身体操作の稽古として使われる言葉が、そのまま人生哲学として使えることに意味を感じる


「流れに乗る」「今の状態のままでやる」「ぶつかったら違うことをやる」などの言葉、稽古で使うがそのまま人生の色んな場面で使える


身体操作として武道を学ぶのも良いし

人生哲学として武道を学ぶのも良いと思う


僕の場合、武道の入口は師匠にやっつけられたというキッカケでしたが


習い始めた頃

「『往なす』てなんや??」

「『感じる』てなんや??」

「『同調』てなんや??」

と武道の発想や感覚に凄く興味を惹かれ

身体操作よりも「感じる」や「人と向かい合う」という稽古に最初の頃は比重を置いていた


でも結果、僕個人は「感覚する」に重きを置いたおかげで迷走する期間は長かったが「出来てる風」のドツボにハマる他の方より、身体操作ができていった気がした


「身体」→「意識」と「意識」→「身体」

「ゴール」→「スタート」と「スタート」→「ゴール」を行ったり来たりする発想

といった、一つの発想に居着かない「縦横無尽な発想」を学ぶことも、武道の側面になる





武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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