「皆が達人になれば平和になる」

昨日の稽古も相変わらず楽しかった


入会して2回目の稽古の生徒さんが、以前合気道をやられてたということで、「合気上げ」「転換」「棒術」など体験して頂き、最後に「抜刀」をお見せすると驚き興味を持たれていた


刀が抜けない様しっかりと鞘を押さえてもらい、その状態から鞘ごと相手を崩し、そのまま静かに切るなのだが、もちろん腕力ではできない


身体的には「胸骨操作」「骨盤操作」「肘の操作」の3つが要素となる


更に感覚としても「相手を感じる」「頭を静かにする」というハイレベルな要素も入る



刀を抜くというパッと見、簡単そうに見えるが様々な要素の集積である


その要素を分解して最初の数年は「肘だけ」「胸骨だけ」「骨盤だけ」といった要素を1つずつ丁寧に正確に稽古する


ちゃんとできると手応えがなく「なにが起こってるの??」と自分がやってることが自分で理解できない


それでいい


他所のよくある合気道の道場とは違い、指導者がよく理解せずひたすら型をやり続けたり、よく解ってない指導者の技?にやらせで投げられるという、訳の分からない自己満足で「武道をやってる気分」を求めていない


そもそも、「投げる、投げられる」はどうでもよく


「言われたことを素直に受け止めなれない自分」

「相手と正面から向かい合えない自分」

「自分を誤魔化し、勝手なことをやろうとする自分」


そういった自分自身をぶち壊し、素直な成長が一番の目標である


道場で「強い、弱い、上手い、下手」はどうでもよく

社会生活でどれだけちゃんと他人と関われるかが勝負どころであるし、成果の見せ所である


初見宗家も「強弱柔剛あるべからず、自分が巧くなったと思ってる時は、下手な時なんだよ」

と仰っていた


本当に「目から鱗」な有難い教訓である


道場でもよく言うが

「分からないでいい、出来なくていい、ひたすら悩むことが稽古になる」

が大事で、うちでやっている稽古は確実に一朝一夕ではできないハイレベルなことをやっている上に

死ぬまで成長できるメソッドを稽古している


人間には生きてきた経験、体験によるレベルがある


自分よりレベルの低いものは理解できる


しかし、自分よりレベルの高いものは理解が出来ず「なにがなんだか分からない」となる


今まで何度も「言われた通りやったらできたけど、なぜできたか解りません」と言われたりした

時には「そんなもん、簡単に解られてたまるか!!」と言ったこともあるが

ちゃんと教えないという意味ではない


それどころか「みんなが達人になれば世の中が平和になる!!」という確信から、包み隠さずその人のレベルに応じて指導する


道場で「やったー!!出来た!!」も良いが、それはどうでもいい


普段の生活に置いて

「回りの人間に振り回されなくなった」

「仕事で上司や取引先に気に入られた」

「生きていく上で、身も心も軽く自由になった」

などが「武道」の本番になる











武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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