「色んな自分を持つ」

最近、「武道」に全力を注いでいる時の自分と

「我が子」に全力を注いでいる時の自分との、心のスイッチの切り替えが凄く寂しく感じる


もちろん良い意味なんだけど


「武道」を稽古したり、教える事で色んな人との出逢いや変化が幸せでならない


それとは全く別に

「我が子」に全力を注いだ結果、慕ってくれたり、不満を持たれたり、その成長を感じ、これからも成長し変わっていくという、時の流れにも幸せを感じる


どちらも、その時は「ずっとこのままでいいのにな」と思う


だけど、そこは区切りをちゃんとしないとどちらも中途半端になるし

自分が嫌になってくるのも解ってる


だから、キッチリ心のスイッチを切り替えるのだが、その切り替える直前が寂しい

しかし、切り替わってしまえば、楽しいだけになる


そんなことを考えていると、僕には色んな顔があるなと思う


「武道に取り組んでる時の自分」

「我が子といる時の自分」

「仕事でかけ引きをしてる時の自分」

「1人の時の幼稚な自分」


そんな感じで人には色んな顔や側面がある


大人になり、色んな責任や立場を持つ人ほど色んな顔を持つことになる


僕なんかは、仕事や武道の話しを子供にしないし

仕事関係の人には武道や家族の話しはほとんどしない


それぞれがそれぞれの世界で成立していれば良いと思うし

それぞれの世界の価値観は違うから、自分の考え全てを人に理解してもらおうとは、少しも思わない


たまに「真っ直ぐ、裏表の無い人間になれ」みたいなこと言う人いるが

ある意味そうだとも思うけど、それでは衝突ばかりのガンコ爺になる


「ぶつかって、迷って、ぐちゃぐちゃな道の先に色んな顔を持ってる、多面人間になれ」

が真理だと思う


日野先生も

「八方美人ちゃうで!俺は360度美人やで!!」

と仰っていたが

つまらない自分なんか放っといて

出会う人間全てに合わせ、その場その場を幸せな場にできれば、自分なんて要らないとつくづく思った















武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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