昨日、ふと考えてた
「いつか成功するために今は歯を食いしばって頑張るんだ」という考えの時期が自分にはあった
そして、それはある意味間違った考えだったのかもと思った
どう間違ってたかというと
「頑張る」というものが、自分の感覚が拒絶していることでさえも、乗り越えていかなければいけないものだと信じ込んでいた
10代の頃「世界最強」という妄想に憧れて、「世界一強いやつになってやろう」と決めた
そして、正道会館に入った
スパーリングでムダに殴られるのも殴るのも本当に嫌だった
心が拒絶しているのに、「強くなるため!!」と無理やりそこに自分を向かわせた
そしてその後、正道会館を辞め日野先生のもとで「武道」を学びに通った
「格闘技」の殴る蹴るとは違い
「武道」は刀で切る切られるを前提で稽古をするため、「一発でも相手の攻撃を食らう=致命的」という発想のため、相手の攻撃に当たらない稽古をする
「格闘技」の攻撃に耐える避ける練習は直感的に心底嫌いだったが
「武道」の相手の攻撃が当たらない「往なす」稽古は夢中になった
仕事でもそうで格闘技時代、色んなバイトをやった
肉体的にキツくても、精神的に納得いく仕事は良い経験になったけど
やってて「なんで今こんなことやってんだろ」と馬鹿らしくなった仕事は記憶にもほとんどない
この「直感的に嫌なこと」はある程度、人生経験を積んできたら「切り捨てる」もしくは「逃げる」をしていくことが大事だと思う
二十代前半くらいまでは、満足するものも、惨めに感じるものも、手当たり次第全力で頑張ることも大事だと思う
ある程度自分の能力が見えてくれば、自分の直感が自分の進む道を教えてくれる
その「直感」を育てるためには
「今できることに全力を注ぐ」
しかない
そして、そこに「損得」や「好き嫌い」というちっぽけな自分の価値観で判断してはいけない
更に言えば「恥ずかしい」や「人とは違う」という理由で行動できないのは本当に自分を大事にしていない
「それをやりたい!!」
と思えることにはとりあえず「人生1点賭け」することが人生を豊かにする1つの方法だと
大人になってくると、つくづくそう思える
武ノ風 BUNOKAZE
衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。
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