「悩むほど人は成長する」

「武道」をやりたいと思った時、何かしら思いがあって始めるのだと思う


「強くなりたい!」

「身体能力を上げたい!」

「精神力を強くしたい!」

「なんかやってみたかった!」

色々あると思う


よそのよくある「武道?」の道場は

失礼ながら「武道」を知らない先生方が、謎の型稽古を永遠とやらせ、「受け身」という名目の「ヤラセ」により「段位」を与える

正直、そんなもの武道でもなんでもない道場主の自己マンでしかないが

それで満足の方はそれでいい


うちでやる「武道」は入り口が多種多様にある

人それぞれの目的によって違う


稽古の流れとしては

なにかその日のテーマを決めスタートする


まずは「胸骨操作」「連動」「肘、膝の操作」などの基礎稽古から始める


そして、それらの応用を僕が体現して、生徒の方にそのまま同じことをしてもらう


その中でアドバイスしたり、

みんなのレベルに合わせて、稽古のレベルを上げていく


すると、自分の頭では理解できない「壁」にぶつかり「できない自分」と向き合うことになる


それで良い


そこから、自分自身が迷いもがき悩む


頭で分かってるのに、できない自分が歯痒くて悔しい


それが何年も続くと、自分に自信をなくしたり、他の簡単にできる何かに乗り換えたりして「武道」を辞める方もたくさんいる


それも、その人の人生だからそれで良い


ハッキリ言って「本物の武道」はゴールが無い

なぜかと言うと「人間の可能性」は言葉通り無限だからだ


そんな「無限の可能性」の稽古をやっていくから一生なにかしらの「壁にぶつかり乗り越える」は続くのだと思う


僕も今「武道」における壁が2つある

1つは、日野先生の唯一の「型」をちゃんと身に付ける

2つ目は、気配を消し「透明人間」になる(笑)


この2つでもがき悩んでいる


みんな勘違いしてるは、「なにかできた」の時に人は成長してるのではない


「ちくしょー!!なんでこれができないんだ!!」ともがき悩んでいる時に人は成長している



昔の芸人で「上岡龍太郎」という好きな方がいる

この人の言葉で

「人生で苦しい時は、その人が人生の階段を登っている時やから苦しいんや」

ホント身を持って解る



日野先生のお言葉でも

「人はな、一歩一歩成長なんかせぇーへん、コップに水が溜まって、ある時溢れ出るように突然成長すんねん!!抱えてる問題がデカイほど時間がかかって、その悩んだ時間が長い分、ある日パーンて跳ねるねん!!」

がある


ホントにそう思う

僕も「武道」を始めて7~8年ほどほとんどなにも解らなかった

目の前の日野先生はできてるのに、 自分にはできない現実

なんどもめげそうになったが、できないのに辞めるは、自分を許せなかった


それでもやり続けていくとある日「あれ!?これやん!」てな感じで、「灯台もと暗し」な感じで簡単に気付いた

それって、簡単なことに気付いた気分になっただけで「自分のレベルが上がったから簡単に気付いた感覚になった」であり


決して、簡単なことではない


なにが言いたいかと言うと「レベルが低い時の自分では解決できない問題」をレベルの低い自分ではもがき苦しむが

「自分のレベルがあがった自分」になると最初の問題が「なんでこれで悩んでたんや?」なくらい簡単な問題になる


そうして、自分のレベルが上がると芋づる式の様に、色んな問題が一気に解決したりする


そんな「自分自身の人間のレベル」を上げていくのが「武道」の稽古になる




武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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