「『愛』の反対は『無関心』」

僕の好きな歌の歌詞で

「『愛』の反対は憎しみじゃなくて  『無関心』という諦めなのです」

というのがある


最近、聞いた話しで

「全ての悪の根元は、『無関心』である」

というのも、なかなか納得した


なにか犯罪を犯す人間の大半が被害者の気持ちに「関心」を持ち、理解するなら出来る訳がない


前に書いたことだが

僕は少年の頃、人に平気で暴力を振るう様な輩と喧嘩するのは大好きだった

なぜかというと

人の痛みや恐怖心に「無関心」で、平気で他人に暴力行為をする人間に反吐が出るほど嫌悪感を持ち

世の中から居なくなればと思っていた


僕自身、今でも非常識な人間を見ると怒りが込み上げる


なるべく、気にしない様にはするけど、あまりひどいと状況を見て声をかける


逆に、飲み屋なんかで素敵な店員さんに会うと、嬉しくて思いっきり喜びを伝える


時には日本なのに、チップを渡す時もある


最近「怒ったらダメだよ」と言う人がよくいる


そんな人に「怒らない人と、怒れない人は全然違うよ」というと、「分かってる」と言うが、分かっていない


「喜怒哀楽」って人間にとって必要だからある感情で

怒りが無い人間は、喜びも無い、ただ人に「無関心」なだけの人間でしかない


そこを分かってない人がよくいる


人に「関心」を持って生きていれば

「喜び」も「怒り」も「哀しみ」も「楽しさ」も必ずある


だから、衝突をしたり、喜びを分かち合ったりできるのだと思う


師匠に教えて頂いた言葉だが

「人とぶつかった事のない人間が、人と繋がることなんかでけへんで!」

も心から納得だし


宮本武蔵のマンガ「バガボンド」で

柳生のじっちゃんが武蔵に

「石はぶつかって、ぶつかって角が取れて丸くなっていく」

と武蔵を諭すシーンも腑に落ちた


そういえば

ちょっと前のニュースで

自分の奥さんの皮肉を、目の前で言った司会者を一発殴ったウィルスミスに

「大人げ無い」と非難するコメントがあったが

僕はウィルスミスに1人拍手を送った


家族をバカにされて、冷静に黙ってられるほうが心が無さすぎる


自分の意思が無く、人に「無関心」な「石」にもなれない人には理解できなくても構わない




いつも怒ってるだけの人間は問題だが


テレビやSNSなんかでも

怒ってる人を「人間が出来てない」と、当事者でも無いのに非難の声をあげる阿保がいる


人に興味があり、「関心」があるから怒ることもあるのであって

聖人君主の様に「怒り」だけを非難する人間を僕は「他人に無関心」な心無い人間だと思う




武ノ風 BUNOKAZE

衰えない身体作りとしても学べる護身術教室です。

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