日野先生の仰る「要素」という言葉
世間話一般が使う「要素」という言葉
言葉の重み、深さ、必要性、が全く次元が違うもので、いつも違和感を感じていた
ボクシングでいうと「相手のパンチをよけて、打つフットワーク」
習字でいうと「筆の握り方」
サッカーでいうと「ボールを蹴るために足腰の力が必要」
ということが世間一般でいう「要素」の意味っぽい
それって人によっては色んな取り方が出来るやんが一つだし
じゃあそもそも「パンチをよけて打つフットワーク」って何をどうすればいいの?っていう、更に前段階で分からないことがある
その時点で「素」ではないことが解る
そして一番僕が「要素」という言葉を使う意味でもある「普遍性」が世間一般の使う「要素」には無い
「パンチをよけて打つフットワーク」が出来たとして、ボクシング以外で何に使うの?ということだ
日野先生の使われる「要素」は本当に原始レベルのことを仰られている
「胸骨」「連動」「応点」「正面向かい合い」「骨盤」などそれ以上分解できないことであり、人間にとっては何にでも応用できる「普遍性」が無限なものだ
僕の知る有名人で
朝倉未来やボクシングのナジームメハドなんかの、相手のパンチを避けてないの当たらない現象は「応点」
サッカーのメッシのフットワークは「胸骨」
一流ダンサーのダンスは「連動」
一流のアーティストの存在感は「正面向かい合い」
など、日野先生の仰る「要素」は、そのどれか一つでも身に付けたなら天才的な能力を発揮できる高級なものと捉えている
そして、僕も道場で「要素」という言葉を使う時は、以上の意味があるものだけに使う
うちで使う「要素」という言葉の意味は、なかな伝わらないけど
何事にも「必要」な「素」であり、何事にも「応用」が効く「普遍性」のあるもので
本当に自分を研ぎ澄まし、「自分のレベルを上げてくれるもの」を
「要素」という言葉で僕は伝えている
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